チャネリング時系列 番外編

さていきなり番外編

愛とはなんぞや

私は、この定義の難しい“愛”なるものを
深く考えず乱用するような人は
チャネリングしない方がいいと思う。

私は“愛”をわかっているから
その資格があると言いたいわけではなく
それがなんなのかを求める道と
チャネリングの道のりは
常に重なり、同期し、共にあった。

幼い頃から
人間と上手く交われない私は
昼も夜も暇さえあれば空をみて
星座はよく知らないけれど昴を見つけると嬉しく
空の雲に飽きれば目を閉じて瞼の裏に現れる光の雲を見続けていた。
木や石ころに話しかけ
野良犬や野良猫を追いかけて遊んでいた。

両親は懸命に生きているけれど自分の事で精一杯で
私は愛されている、見守られている安心感を得られずに過ごしていた。
加えて生まれつきの性分もあり、心を開ける友達もいない。

ここでさらに脱線してしまうのだけど…
一番の友達は近所の家で放し飼いにされていたチャコという雑種犬。
今では珍しいことだが、当時は別に問題視されておらず、チャコは近所を自由に歩き回っていた。

とても賢いメス犬で、呼ぶと来てくれて、「言ってることがわかるなら耳を動かして」と言うと後ろにキュッと動かす。
家に時々フラッとやって来ては私の愚痴を聞いてくれる。

ところがしばらく見かけなくなって、ある日また突然姿を見せはじめ、
私の家と物置小屋の隙間で子供を産み、母が保健所を呼んでしまった。
泣きながら飼い主の所へ向かい、
飼い主から
チャコはあるお婆さんに引き取られて、そのお婆さんは亡くなってしまって今は野良犬なのだと言われた。
家は犬は飼えないから
引き取りに行って欲しいと懇願すると
保健所へ行ってくれて、チャコはまた自由に歩き回るようになった。

どうやらチャコはこの顛末がわかっているらしく、前にも増して
見えないところにいても呼ぶとすぐ嬉しそうに来てはコロンとお腹を見せてくれるようになった。

生きることが重すぎて眠れない日に
夜明けに星が消えていくのを見たくて道の真ん中に並んで座っていてくれた。

それから高校生になり
少しずつ生きる事を楽しむようになり
あまりチャコと会わなくなっていた。 

そんなある日、車に乗ってでかけた先、20キロくらい離れた場所で、チャコと出くわした。
なんとチャコは10匹ほどの野犬の群れのボスになって! 体の小さいメス犬なのに。ただ強い者ではなく、賢い人格者(犬格?)がボスになるのだなぁと深く感心。

以来、自宅前で人を待つ時などにひょっこりチャコが遠くに見えて呼ぶと
ゾロゾロ野犬ファミリーもついてきて
相変わらず私にコロンとお腹を見せるものだから全員私に向かってお座りしているという
「ボスのボス」気分を味わえる幸運に恵まれましたとさ。

チャコがいなかったら私はきっともっと人と交わることを楽しむのが遅くなっていただろう。
心を開いて、ただ聞いてくれて、隣に座ってくれる存在がいる。それが心地良いものだとチャコが教えてくれたように思う。

“愛”の探求…犬に教えてもらってやっとこさチマチマと始まった。

さてさてこの脱線してるだけのようなこの話にも実はチャネリングに繋がる要素が隠れている。

人と会話できない分、私は私の内側にいる「存在」に、木々や石ころや星に語りかけ続けていた。
問いかけ続けていた。
そして目を閉じて瞼の裏を見つめること
今にして思えば、
それらが知らず知らずの内に“訓練”になっていたのだ。

内側や木や星に嘘はつかない。つく必要がない。純粋に謙虚な祈るような気持ちでコミュニケーションをとる。

そして瞼の裏を見ることは、どうやら所謂サードアイを活性化させる。
ただし、サードアイばかり鍛えてもダメなのだ。

真に何か受け取るには
グラウンディング。地に足をつける事が最重要になる。

これができるようになるまで、
まだまだ道のりは長かった。