チャネリング時系列⑧

後でわかったことだが 
数秘術というものがあって
(占いとも言えるし、学門の一部とも言える)
これを調べると
私の大きな転機が34才であると出る。

 

占いというものを
不安を払拭するために依存して使うのは嫌いで
未来は分からない方が面白いと思う。

 

ただ、今の選択のために、前頭葉思考の邪魔を払い除けて、お腹で選択するためのツールとして使う分には
むしろ占いは好きだ。

 

固い発想を超えたインスピレーションが得られることが多い。

 

意思をもって選択することと
それと同時に
流れに身をまかせること
計り知れないなにかに降伏すること

 

チャネリングが始まったということは
頑なに自己を確率、探求だけして暗中模索だった途上の私が
本当の意味で他者と関わり
他者を通して自分に戻ってゆく道の始まりだったように思う。

 


始まりのゴングは鳴ったものの…

そこから16年たった今も日々気付きの連続で
特にはじめの頃は試練とも呼べる出来事が目白押しだった。

 

最初の試練を時系列に詳細を書いてしまうと長くなる予感しかないので
番外編として別に書くか
迷った…

 

そして延々と時系列書く前に
ホロスコープの新説を途中どこかで発表しなきゃなのだけど
(  ̄▽ ̄)

 

そもそもそれを書きたくて
長い前置きを書きつづけていて。

 

書いていて、ホロスコープ興味ない人でも何かしら楽しんでいただけてるみたいなので
これも想定外の流れに身を任せ
調子にのって
しばらく進みます。

 


20才から38才まで
主な収入源は絵画モデルだった。
それだけでは生活できない時は
掛け持ちバイトで水商売や日雇い仕事もしていたが
20代後半からは絵画モデル一本でかつかつ生活がなりたっていた。

 

同じことの繰り返しや
事務仕事など苦手過ぎる私には
ありがたーいお仕事だった。


モデルと言うと一般的にいけてる容姿を思い浮かべるかもしれないけれど、
絵画や彫刻専門のモデル達は個性豊かで
珍獣揃い。
それが一匹狼よろしく各地の現場へ繰り出してゆく。

 

就労時間は2時間、3時間で
たまに長くて6時間。

じっとポーズをとり続けることは技術も忍耐も必要だけど、
その間はしたくない愛想笑いも忖度会話もしなくてよくて脳内フリーダム。

 

34才の頃には身体的技術も相当培われ、瞑想状態に近い。
コナキジジイやり放題。

 

おかげさまで短期間でかなりのやり取りをした。

 

あの日から2週間もたっていなかったと思われる、とある日

その日の現場は大学で、普段は単身乗り込む事が多い中、もう一人一緒に入っていた。
休憩時間に話をしていて 
今まで仲良くなったことのないタイプのその子と不思議と意気投合というのか
仲良くなった。

 

運命の出会いってやつ。

 

歌を歌っているというので、
音源を聴かせてもらった。
これもまた普段の音楽の好みとは毛色が違うのだけど
心が震えた。

 

チャネリングのことをまだ他人に話す気は全くなかったけれど
なぜかふと話したくなり、
帰りの電車で告白してしまった。


この子(Kちゃん)がこのあと
私に最高の楽しさと、もどかしさと、哀しさを通して、私がチャネリングをどう使っていくのかを教えてくれることになる。