チャネリング時系列③

わたしにとってチャネリングは、いたずらっ子四次元が相手なのか
高次元存在なのか
の見極めが重要。

それはある種のエネルギーを感知できるかどうか、区別できるかどうかがキモになる。

四次元は扱い注意。
それを使うと名誉や称賛は得られるが
表面的に役にに立ったように見えて
魂レベルでは無意味だ。
つまらない遊びだと思う。
高次元と交信したってどっちにしても遊びにすぎないかもしれないけれど、
四次元はぬか喜びだけして体力を奪われる。


ではどう感知するのか
上手く表現できないので
相変わらず長々と自分史語りで…それがなんとか説明になる気がするので
すんません。

∞∞∞∞∞

両親とほとんどコミュニケーションがとれない日々
本棚にある背表紙を眺める。

大きな本屋も古本屋もない田舎町なので読むのは90%漫画。
それも飽きる。

学生運動に参加していた両親の蔵書は片寄っていた。
マルクスだのサルトルだの
たまに読んでみても
なんでワザワザこんな小難しく書くのかと興味が湧かない。

高校生だったか、なんとなく気になった
ユーリッヒ·フロム(今はエーリッヒって表記なんですね…もしかしてマンデラエフェクト?!)
「愛するということ」
これは大いにヒントになった。

以来読み返していないので、
私の記憶と実際の内容が違っているかもしれないけれど

周囲の大人やテレビで繰り返される
大安売りの愛だのなんだのが嘘くさ過ぎて、なんだかなー…
自分が安心したいから繰り出す「心配」も
教師の言う将来のため、お前のため…
愛の鞭??

ぜったいなんか違う

フロムさんが
それらの嘘くさい「愛」と
無条件の「愛」は違うと。
無条件の愛が土台にないと
人生はつらいものになるというかんじのことを
書いてくれていたので

やっぱそうやんな。

しかし
さてわたしは「無条件の愛」を肌身でリアルに感じたことがあるだろうか。

その頃はまだ対人間との間で感じたことがないように思った。

あったのかもしれないけど
記憶にない。
犬や猫や木に感じるあれがそうなのだろう。

私の内なる葛藤は
主にこれが原因か!と合点がいった。

他にもいくつか本からヒントをいただいて
親に与えてもらえなかったなら仕方ない。文句は言いたいから言うが、
親も自分の親に与えてもらえずに知らないのかもしれないから
自分が自分の親になって育てるしかないのだ。
わたし、わたしの母になる!

そう決心した。
どうやったらいいかわからないけど
「無条件の愛」ものにしてやろうじゃないか。

人間が嫌いなようでいて、
私は人間を理解して真に暖かい交流することを渇望していたように思う。

土台は大事。
それがないまま
他者からの称賛やハリボテの愛モドキなどに頼って誤魔化していたら
きっと楽しくない。

楽しく生きたい。

しかし決心したはいいものの、
はじめは無我夢中でなりふり構わず
それとは気づかず毒をふりまく。
毒にあたった他者は「傷ついた」り、
すかさず「毒返し」を繰り出す。

頭を打って、さらに愛とは程遠い自己嫌悪や怒りに打ちのめされて振り出しに戻る。