チャネリング時系列②
将来なりたいものは?
と聞かれても、質問そのものに違和感があった。なりたい職業は?
も似たようなもの。
小学校で、強制的に毎年恒例書かされたけれど、
なる、というというのが納得いかない。だからいつも困り果ててテキトーになぐり書き。
私は私で、他の何かにはならない。
きっと今より楽しい何かをしているだろう。
している、のと なる は違うだろう。
今でもやはりそう思う。
ただ、どうせなら「デコトラ」とか書くユーモアや余裕があったら良かったと悔やまれる。
そんな10代の頃
ものすごく歌いたい衝動にかられ
大音量でレコードをかけてひたすら歌っていた時期があった。
英語の歌の方が発声していて声が出やすいのでカーペンターズがお気に入り。
友達いなくて暇なので、有り余るエネルギーを発散していたのかもしれない。
「わたし歌手になりたいのか?」とも思ったけれど、それは何者かになることを目指すのが良いことだという風潮に脳ミソがやられてチマヨッタに過ぎない気がする。
ただ歌いたいから歌い、それに飽きたら踊って、また飽きたら
食べたいものを作って食べる。
家にある材料で創作料理も好きだった。
小豆を煮るところから始めて饅頭や水羊羹もよく作った。
一般にインターネットはまだ登場していなかったが、料理をほとんどしない母が何故か料理本をたくさん持っていて、おかげで「ほうとう」だの「葱餅」だの、食べてみたいものに色々挑戦した。
でも料理人になりたいとは思わなかった。
ごく一般的にいうところの
器用貧乏で飽き性で
将来設計などしないキリギリス的
地に足付いてないダメ人間
それは脳ミソではわかっちゃいるのだけど
その時やりたい事をやって
やりたくなくなったらやめる。
それしかできない。
身体がそのようにしか動かないのだ。
しかし当時は気がついていなかったけど
おそらく、やりたい事をやっている時の集中力はすごく強いみたいで
それなりに身に付いて、生きてると随所で役に立つ。
今なら
成人して生きにくさに折れそうになったらきっと発達障害認定してもらうのも一つの手なのだろうけど
当時はそんな制度や知識もなかったし
あったとしても
使わなかっただろう。
何とかなるやろ、と思ってた。
面白がって生きてやる!という闘志のようなものが常にあった。
そうして生きて、いつの間にか何者かに勝手になっているのならそれでよし。
それより私は自分の内側にある余計なものを取り去る事の重要さに気がついていた。
モヤモヤと
ウヨウヨと不快な様々な内なる闇事を
ポイポイすること
忘れていたことを思い出すこと
それをやらねばならない。
それをハッキリ自覚できたのは
ユーリッヒ·フロムの「愛するということ」を読んでから。
つづきはまた(* ´ ▽ ` *)ノ